悲しきハッピーソング

60年代、ライブ嫌いだったマーヴィン・ゲイが人前で歌うようになったのは、タミー・テレルとのデュエットが切っ掛けだったそうな。

タミーは、そのキュートな歌声とルックスで、少女時代から地元フィラデルフィアでは有名で、レコード会社と契約するのも時間の問題でした。
ほどなく『ワンド』というソウルレーベルと契約し、シングルをリリースしたのが15歳の頃。。
17歳でジェームス・ブラウン・レヴュー(コーラス隊)のバックアッパーとして参加。。
翌年、JBのレーベルからシングルリリース!

ここまでは、めっちゃ順調に見えますよね。。

問題は、JBの映画でも描かれてましたが、御大とコーラス隊の男女関係がね。。
やっちゃうよね❤️ファンキー大統領は!
タミーもご多分に漏れず、手籠めにされてしまいます。。
それだけならまだしも、コトあるごとに暴力を振るわれたそうな。。

嫌気がさして飛び出した彼女は、20歳の時、ベリー・ゴーディに見いだされ、モータウンと契約します。

才能は確かなモノだったんでしょうね。

彼は「めっちゃセックス・アピールある名前〜、どんだけ〜」ってことで、彼女の芸名を『タミー・テレル』に決めたそうな。。

いやいや、そっち系?
どういう感覚?
わからんわ〜

モータウンでも、超大御所、テンプテーションズの ‘My Girl’ デヴィッド・ラフィンに愛され、プロポーズまでされたそうで。。

しかし『Gentleman Ruffin』らしからぬ彼には妻子がいて、しかもタミーは愛人2号。。
問い詰める彼女にラフィン@黒縁メガネは、バイクのヘルメットで頭をしばきたおしたという。。

男運が無いよね、タミー。。

次なるお相手がマーヴィン・ゲイ。
こちらは純粋にデュエットの相方として

マーヴィンはタミーを愛していたようですが。。
どうやらタミーにその気は無かったようで。。

Ain’t No Mountain High Enough

この曲がスマッシュ・ヒット!
ダイアナ・ロスもアレンジして歌ってますが、タミーのキュートさには敵わないでしょう❣️

やっとシンガーとして名実ともに認められた矢先、悲劇が彼女を襲います。。

‘Ain’t No 〜’ のリリースからわずか6ヵ月後の1967年10月、タミーはマーヴィンとのステージで歌い終えたあと、彼の腕の中に倒れ込みます。
診断の結果、脳腫瘍でした。。

手術は一応成功したものの、完治はしなかったようで、時間が経つにつれ、ステージに立てなくなり、車椅子生活を余儀なくされ、さらに手術も繰り返し、レコーディングさえもままならなくなってしまいます。

1969年の年末、マーヴィンのライブに車椅子で訪れたタミー。
彼女に気付いたマーヴィンはタミーの元に駆けつけ、’You’re All I Need To Get By’を一緒に歌いました。
これがタミーにとって、最後のパフォーマンスだったそうです。

You’re All I Need To Get By

次の年、1970年3月、8度の手術もむなしく、タミーは他界してしまいます。
24歳でした。

彼女の葬儀の日にリリースされたのが次の曲です。

The Onion Song

The world is just a great big onion
And hate and fear are the spices
That make you cry, oh baby
And the only way to get rid
Of this great big onion
Is to plant love seeds
Until it dies

椎名林檎もこの曲『玉葱のハッピーソング』をお兄ちゃんとデュエットしてるので、日本でも有名ですよね。

マーヴィンはその後、人間不審と彼女の死から立ち直れず、しばらくレコーディングとライブができませんでしたが、弟がベトナム戦争から帰ってきたことをキッカケに、タミーの死から1年2ヵ月後の1971年5月 ‘What’s Going On’ をリリースしました。。

タミー・テレルの濃密な人生、彼女とマーヴィン・ゲイの関係を考えると、’What’s Going On’ もさらに感慨深くなりますよね❤️

Marvin Gaye / What’s Going On

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